ほのづきの「ほ」

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「ボーカロク」と「こう僕」

冬もぐらさんの新作に、「こうして僕、幸せが生まれた」を使っていただきました。
こんな作品です。




先日、VOCALOID CINEMA PARTY 2012というイベントで上映され、当日は上映後に冬もぐらさんと前でちょろっとトークしたりなんかしました。
周りは10万再生超えクラスのすごい作品だらけで終止萎縮していた冬もぐらさんと僕でしたが、作品はすごく好意的な評価をもらえて光栄でした。

作品中にどの動画を入れるかは、霜月六花*さんがアドバイザーとして参加してくれて、3人であれこれ考えました。
(ここらへんは僕はあまり貢献できてない。)
なかなかツボを押さえたセレクションになっていると思います。

で、動画の詳しいことは冬もぐらさんに譲るとして、作曲者の自分として書きたいのは、動画と音楽の絡みについて。
この作品は「こう僕」とうまく絡みながらも、ちょっと新しい「こう僕」の解釈を与えてくれたように思います。
書き出すとキリがないので、以下、ひとつ大きなポイントだけ。

前の記事でも書いたとおり「こうして僕、幸せが生まれた」は幸せが生まれるまでをモチーフにした作品で、擬人化した幸せが「僕」として歌う形で進みます。

一方、冬もぐらさんの作品では、この「僕」がミクとして現われていると見ることができると思います。
そこでふと思ったのが「僕はまだ生きるのに、少しだけ足りないから」という歌詞との絡み。
この歌詞を冬もぐらさんの動画との絡みで置き換えると、以下のようなことが出せるでしょう。

ボーカロイドはまだ生きるのに、少しだけ足りない

どうでしょう?

この問いにどういう印象を持ったでしょうか?

たぶんこの問題自体は曖昧な点をいくらでも含んでいて、いろんな形で定式化可能です。
たとえば、ボーカロイドという言葉でキャラクターを指すのか、音声合成の技術を指すのか、文化現象の総体を指すのか。
それによって「生きる」ということや、「少しだけ足りない」ということの意味が変わってきます。
それでも、この点を考えながら動画を見返すと、また新しい点が見えてくるように思います。
まぁ、僕はミクSweetがいつ画面から出てきてくれるのかっていうところでどうしても考えてしまいますがウェヒヒ^q^


あとそうだ。

終盤で2人のミクが並んで歩くシーンがありますが、背景はVOCALOIDの打ち込みをするエディタ画面です。
そこにピアノロール(楽譜の音符に相当する)という棒が出てきますが、これは「こう僕」のメロディラインになっていて、曲と同期してるんですね。

こういうような小さなネタがたくさん詰まってるので、ぜひ何回も見て欲しいです。だからもっかい貼ろうっと。





ではでは。
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  1. 2012/03/20(火) 22:21:14|
  2. VOCALOID
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